ブックタイトル日本ねじ研究協会 1979年10月
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日本ねじ研究協会 1979年10月
「高松宮殿下をお迎えして石井義昌*新緑か診る5月24日,高松宮殿下を訟迎えしおそれない。そこでまことに畏多いことながら,私が拝てわが社は創立40周年を祝った。この日取りのした璽聖両殿下の印象"を飾りなく綴ってみたいと決定については,殿下ご台臨のこ内諾後,第1案から第4案を出し,その中から殿下のご都合のよい日をお選びいただいたのである。わが社40年の歩みの中で,5月24日という日に特別のゆかりはない。しかし今後は大きな意義をもつ記念すべき日になったのである。思う。ご気さくな殿下本年正月,ある団体の賀詞交換会の席に,両殿下がお出ましになっていた。妃殿下から「石井さん,この次はあなたのところですね,楽しみにし高松宮殿下,同妃殿下のこ台臨をお願いする言ていますよ」とのお言葉を賜わった。私はその以上書の一節に,私は次のように記した。一日太工業の進歩発展の一翼を担う最近の前に,妃殿下が名誉総裁をしていられる団体のことで高輪の御殿へ参上し,妃殿下にお会いしてい精密ねじ塑性加工の現状をご親閲賜りますなたので,親しく澄声をかけてくださったのであろらば,弊社はもとより日本ねじ工業全体の栄う。誉であり,今後の技術向上に大きな励みとなその妃殿下を5月24日の当日拝し得なかったりますご(以下略)せんじようこのように書くと璽潜上の沙汰"と,世からお叱りをこうむるかもしれないが,しの識者かし私ことはまことに残念である。妃殿下には論風邪を召され・もう殆どご本復なされているけれども,咳が少し残つているので大事をとられてお成りいたは自社だけの名誉を考えたのではなく,いわば入学式や卒業式で生徒代表が式辞を読むのと同じ心だけなかったのである。ぎよざ宮殿下が私宅の応接間に御座あり,お迎えのご境であったことをお断りして,ごいしたいのである。寛容のほどお願あいさつの中に,私が妃殿下ご不例のことを申しあげると,「流感発生地のソ連に抗議するほかな高松宮殿下,同妃殿下には,ご台臨の当日およいね」と,殿下のユーモラスなお言葉……。陪席びその前後に数回,おそば近くに接し,お言葉をいただいたのであるが,そのお人がらについてはきようくただただ恐催感激することばかりである。者一同はそれまでの緊張が一度にほぐれる思いがした。殿下は意識して冗談めかしておっしゃったのかどうか。お言葉の裏に「みんな,そう固くな戦後は皇室家の方々が民間人とお接しになる機らないで……,気楽に」というお心づかいのほど会は割合に多くなったが,それでもまだ雲上高貴が感じられ,殿下のこ英明さと温容に,私はすっのお方に変りはない。従って今回のようなケースは稀であるから,お人がらを理解できるような話は,われわれにはなかなか伝わら*㈱桂川精螺製作所取締役社長,当会々長かり魅せられてしまった。つじとめ私宅でのこ昼食には懐石料理の辻留の膳部をお出しした。殿下は陪食中の私に経営上の苦労について問いかけられた。私は人知れぬ経営者の苦し日本ねじ研究協会誌10巻10号(1979)一529_.